教育について

(学生百周年記念委員会のインタビューに答えて)

渋谷 浩

2009522

100年以上も前に、福沢諭吉は「一身独立、一国独立」と述べています。現代風に表現すると「個人が独立(自立、自律)して、社会は繁栄する」という意味になるでしょう。個人の主体的自由と独立自尊の精神を強調した福沢は、能動的な自己教育の重要性を強調し自ら実践しました。すなわち、上から与えられた受身の教育ではなく、自ら学ぶ能動的な教育を実践したわけです。福沢は権威主義的な「である」価値から自由主義的な「する」価値への転換を説いた、と表現しても良いでしょう。このように、福沢は社会的地位が生まれながらにして固定されている封建社会を否定し、個人が独立し自由に活動することによって個人も幸福になり社会も繁栄すると主張したのです。

それでは、<独立した個人>とは何を意味するのでしょうか?個人の独立とは<自らに由って生きる>こと、すなわち<自由>に生きることを意味すると思います。自由というのは、多くの人が誤解しているように自分勝手に行動するという安易な生き方を指しているのではなく、実はとても厳しい生き方を要求しています。なぜならば、自由とは<自分で考え、自分で判断し、自分で行動し、そして自分で責任を取る>生き方を意味しているからです。したがって、自由に生きることは、自分で考え判断し行動し責任を取るという一連の厳しい条件を満たす能力がなければ出来ないわけです。このような厳しい条件を満たしている人々から成る社会が<自由社会>なのです。

それでは教育の目的とは一体何でしょうか?それは幸福と繁栄を可能にする自由社会を成立させるために必要な主体的行動を行う能力を持った人間を育成することにあるのではないでしょうか?すなわち、独立自尊の精神を有する自律した人間を育成することが教育の本来の目的であると言えるのではないでしょうか?しかも、人間本性として各自が持っている創造的潜在能力を伸ばし実現することが個人の幸せと社会の発展に繋がるのではないでしょうか?さらに、このような独立した個人から成る自由社会は、民主主義が適切に機能するための前提条件でもある、と言えるのではないでしょうか?

 もしこれらの問いに対する答えがYESであるならば、「教育の目的とは何か?」という問いに対する答えが明らかになったと言えるでしょう。さて過去100年間に行われてきた実際の教育を振り返ってみると、与えられた教科書を暗記するという受身の教育ではなく、自分で考え判断し行動し責任をとる能力を持った<独立した個人>を育成することを目的になされてきたものと自信を持って言えるでしょうか?この問いに対する答が、今後100年に向けて実践すべき真の教育の姿を決定することになるでしょう。